【Web小説】僕は結婚したくない①

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結婚。
それは、誰でも一回は夢見るものだと思う。
もちろん、僕もそうだ。
結婚してみたい。そう思うことはある。
ある。確かに、ある。
けど、それはまだまだ先の話で、今じゃない。
高校生の僕にとって結婚なんて将来の、夢のような話だ。
まったく、現実のものじゃなかった。
……そう。ほんの……数時間前までは。

夢を見ていた。
三年前の……ちょうど今頃の時期だった。
あの時のことは夢で見なくても、今でも鮮明に思い出せる。
十一月の中旬。聖将学園駅前。
日が暮れ、近くの店の明かりが灯り、吐く息が若干白くなりつつある中で、僕はバイオリンを弾いていた。
通りではクリスマスを意識したイルミネーションの準備が始まっていた。そこから漏れる明かりが綺麗で印象的だった。
その時の僕は自分に酔っていて、自分は特別な人間なんだと思い込んでいた。
中学三年の時の僕は、まあ、なんというか……いい意味で言うとロマンチストだった。ストレートに言うとただの馬鹿なんだけど。
気まぐれに覗いた中古楽器店の親父さんに進められて弾いてみたら割と上手かった。
たったそれだけの理由でバイオリンにのめり込んだ。
その親父さんはやたら人を褒めるのが上手かったから、僕はあっさりと自分は天才だと思い込んでしまった。
貯めていた小遣いを全てつぎ込み、バイオリンを購入。
家で必死に練習した。毎日、四、五時間……独学で、だけど。
ちなみに練習曲はエルガーの『威風堂々』にした。楽器屋の親父さんがくれた楽譜の中で一番気に入ったからだ。
で、三ヶ月後。まあ、それなりにスムーズに弾けるようになる。
調子に乗って、駅前で路上ライブを試みた。
目指すは……メジャーデビュー。
うーん。ホント、アホだったよな。あの頃の僕。
路上ライブをしていれば、有名な人の耳に入り、そこから一躍デビューできるなんてことを本気で考えていた。
が、世の中はそんなに甘いもんじゃない。
有名な人どころか一般の人ですら、僕の演奏に耳を傾けることはなかった。まあ、当然だ。
でも、そのときの僕は奈落の底に落とされた気分だった。
孤独。
僕はここにいるのに、まわりの人間はまるで僕がそこに存在していないかのように通り過ぎていく。
虚しかった。
自分なんか誰も必要としていないのだと言われたような、そんな気分。
だんだん惨めな気持ちになったときだった。
「あれ? 止めちゃうの?」
いつの間にか、僕の目の前にセーラー服姿の女の子が立っていた。
僕と同じくらいの歳の、外にはねたショートカットのとても可愛らしい女の子だった。
その子は寂しそうな顔をして僕を見る。
「もう少し聞きたいな。君の演奏」
嬉しかった。
そして、僕は思った。
別に大勢の人に聞いてもらわなくても、たった一人に聞いてもらえるだけでそれは幸せなことなんだって。
僕の一目惚れだった。
たった一言で、その子は僕の心を鷲掴みにしてしまったのだ。
僕はなんと答えていいか分からず、ただ演奏を続けた。
彼女は目を閉じて、僕の演奏を聞いてくれた。
本当に幸せな時間だった。
けれど、今だに一つだけ後悔していることがある。
それは彼女に自分の思いを伝えられなかったことだ。
まあ、いきなり会った人に告白なんてされたらドン引きされるだろうけど。
でも、あの時がベストなタイミングだったと思う。
一度、言いそびれたことは、なかなか言い出せないものだ。
それは三年経った今でも言えずにいる。
たった一言。
「君が好きだ!」
この言葉を、あの時に言っていれば何かが変わっていたんじゃないかって思うんだ。

その夢を見ていたのは放課後だった。
中間テストが終わってからバイトまでの間、自分の机で突っ伏して寝るのが習慣になっていた僕は、当然その日もそうしていた。
放課後の学校というのは、割と静かで寝心地がいい。
だからつい、夢を見るほど熟睡してしまう。
その寝ている僕の肩を、誰かが大きく揺すった。
「千金良、起きて」
ああ、読みづらいと思うが、僕の苗字は千金良と書いて『ちぎら』と読む。
「起きて」
小さいが妙に響く声と、揺らされる振動で、僕はまどろみながらも目を開け、顔を上げた。
「これに名前を書いて」
僕の前に立っていたのは、クラスメートの青手木シオだ。
腰まで伸びた髪に華奢な体つき。背は僕よりも頭一つ分低い。女子も見とれるほどの美人なのに、いつも無表情という、なんとももったいない奴だ。
さらに金持ちの令嬢らしく、リムジンで通学していると噂で聞いたことがある。
ただ、その光景は滅多に見られるものではない。
なぜなら青手木は、ほとんど学校に来ないからだ。
学校に来るのはテストの時くらいだろうか。
今日は中間テストの最終日。
青手木が学校にいること自体に、何も疑問はない。
だが、なぜ、僕の前に立ち、僕に話しかけているのか?
まあ、そんなことはどうでもいい。僕にとって重要なのは、貴重な睡眠時間を邪魔されたことだけだ。
「……なんだよ」
僕は思いっきり、不機嫌で低い声で言ってやった。
寝起きでほとんど目が空いてないから、きっと目つきも悪くなってるだろう。大抵の女子は(男子もか?)逃げて行ってしまう。
自慢じゃないが、僕は割と目つきが悪い。
……うん。まったく自慢にならないな。
「これに名前を書いて」
が、青手木は怯む様子もなく、無表情のまま一枚の紙を机の上に置いた。
すごくでかい紙。テスト用紙を横に二枚つなげたくらいの大きさだ。
「……なんだこれ?」
「いいから」
まったく僕の質問に答える気がないようだ。
僕は渋々、紙に目を落とす。
……ものすごく眠い。ほとんど目が開かねえ。
「どこに名前を書けばいいって?」
「ここ」
青手木は、ある枠内を指差してボールペンを渡してくる。
とにかく僕は早く寝たかった。
何の紙だかよくわからんが、名前を書けば満足してくれるだろう。
そして僕も睡眠に戻れる。お互いハッピーだ。
僕はボールペンを受け取り、サラサラと名前を書いた。
「これで満足か?」
「ハンコも」
「持ってねえよ」
「母印でもいい」
青手木シオはポケットから、朱肉を出した。
「……」
なんで、この女はこんな物を持ち歩いている?
そう考えながらも、僕は母印を押した。
……そう、押してしまったのだ。
「これで満足か?」
僕は乱暴に紙を青手木へ差し出す。
「……はい」
青手木は紙を受け取ると、大事そうに胸に抱いた。
「じゃあ、僕は寝るから。もう邪魔すんじゃねーぞ」
僕は再び机に突っ伏す。
「おやすみなさいませ。イノリさん」
……なんで敬語?
僕はその時、そんなどうでもいいことを考えながら眠りについた。
だけど、僕が本当に考えなければいけなかったのは、青手木の持っていた紙は一体なんだったのか。
そしてなぜ、母印まで押さなければならなかったのか、だ。
学生生活において、ハンコを必要とすることなど、ほとんど皆無だ。
……その有り得ないことを僕は眠たいという理由で、よく確かめもせずサラっと書いてしまった。
今回の事件から学んだ教訓。
書類はよく確かめてから名前を書こう。
名前と母印というものは、物凄い効果を発揮するものらしい。
それこそ、人生を決定づけてしまうほどに……。

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