【Web小説】僕は結婚したくない⑫

NO IMAGE

「お帰りなさいませ」
玄関で青手木が三つ指ついて頭を下げる。
この光景にも慣れてきた。というより、なんか安心する。
家に戻った時、誰かがいてくれるというのはこんなにも心地よいものなんだと気づく。
両親が死んで叔父さんの家で暮らすようになってからは、僕が帰って来ても「お帰りなさい」と言ってくれることはほとんどなかった。
……ああ、そっか。僕はあの家にいたのに、叔父さんと叔母さんとは同じ空間にいたのに……ほとんど話しをしなかった。
青手木と青手木のお母さんのような関係。
……辛かっただろうな。
「ただいま」
靴を脱いで部屋へと歩く。
僕の後ろを青手木がついてくる。
居間へのドアを開くと、案の定、惨劇が広がっていた。
おかしい。
ここ何週間の間で僕の家の物はほとんど無くなったはずだ。
茶碗や皿はもちろん、本や服なんかも青手木にダメにされて捨てている。だからこんなに散らかる程、物が無いはずなんだ。
ま、いいか。
僕はため息をついて、取り敢えず目の前のガラスの欠片を拾う。
相変わらず怖いものが平然と落ちている。
青手木にスリッパを履くように言っておいたのは正解だったな。
自分の家の床に血痕が転々と落ちている光景は結構くるものがある。犯罪の証拠を消している感覚に陥るのだ。
それにしても僕の家にガラス製品なんてあったけな?
僕はあんまりガラス製品が好きじゃない。すぐ割れるイメージがあるし、割れた時に危険な感じがするからだ。だから、コップとか皿なんかは陶器の物ばかり買ってくる。
「なあ、青手木。このガラスってどこから持ってきたんだ?」
「買って来ました。この前コップを割ってしまったので」
「別に気にすることねえのに」
「本当は一緒に買いに行きたかったのですがイノリさんは忙しそうでしたので……。お揃いのを買ってきたのですが使う前にまた割ってしまいました」
僅かに肩を落とす青手木。どうやら落ち込んでいるらしい。
相変わらずの無表情だが。
「すぐに片付けます」
青手木がガラスの破片を拾い始める。
「……っ」
ポロっと破片を落とす青手木。
ポタポタと血が床に落ちる。
手を切ったようだ。
うーん。今度は軍手も履くように言わないとな。
救急箱から絆創膏を取り出し(すぐに使えるように居間に置いてある)青手木の右の人差し指に巻く。
「私……迷惑かけてばかりです」
ポツリとつぶやく青手木。
ほう。どうやら迷惑をかけているという感覚をようやく持ってくれたようだ。
僕に迷惑をかけたくないなら簡単な方法がある。それは僕の家に来ないことだ。
「青手木。腹減らないか?」
「すぐ用意します」
青手木が台所へと歩き出す。
「あ、ちょい待て」
青手木の手を握って、台所に行くのを止める。
華奢で小さい青手木の手。
「なんでしょう?」
青手木が僕の顔をジッと見てくる。
「飯はあるんだ。ほら」
僕はお土産にもらった紙袋を掲げる。
メイド長さんは気を利かせてくれたのか、お弁当を二つ入れてくれていた。
「一緒に食おうぜ」
青手木の手を握ったままテーブルへと向かう。
向かい合うように座って青手木にお弁当と箸を渡す。
「いただきます」
僕が手を合わせてそう言うと、青手木も同じようにする。
「いただきます」
食べている時は特に会話はしなかった。
ただ、ふと顔を上げると目の前には青手木がいる。
なんだかそれが妙に嬉しかった。
一人で食べるよりも誰かと一緒に食べる方が美味しく感じると言うけど、なるほど確かにと不覚にも思ってしまう。
僕は母さんや父さんがまだ生きていた頃の三人で一緒にご飯を食べていた時のことを思い出していた。

弁当を食べ終わり、そろそろ青手木を送っていこうと考えていた時だった。
青手木が僕の部屋へと入って行き、すぐに出てくる。
手にはバイオリンを持っていた。
「イノリさん、バイオリンを弾くんですか?」
「ん? ああ、まあな」
そういえば最近は全然弾いてないことに気づく。
その原因は目の前にいる青手木、お前のせいだけどな。
それどころじゃなかったんだよ。色々作戦とか練るのに忙しかったからさ。
「……聞かせていただくことはできませんか?」
「……え?」
珍しいな。こいつが夫婦の役割のこと以外でお願いしてくるなんて。
「嫌なら無理しなくていいです」
「いや、別にいいぜ。でも期待すんなよ。そこまで上手いってわけじゃないからな」
青手木と一緒に家の近くにある公園へと移動する。
実際に音を奏でるときにはいつもここに来るのだ。
青手木をブランコに座らせる。
この公園ってベンチとか無いんだよなぁ。他に座れそうなところって言えばシーソーか滑り台くらいだし。まあ、ブランコが一番無難だろう。
僕は青手木の前に立ち、バイオリンを構える。
あご当ての部分が壊れているので胸に当てての構えになるのが若干弾きづらい。
弓を弦に当てる。
……そういえば人前で演奏するのって久しぶりだな。
おっと、ちょい緊張してきたぞ。
僕は目をつぶり、深呼吸する。
これが僕なりの緊張のほぐし方なのだ。
目を開いて弓をゆっくりと引く。
旋律が生まれる。
そこからは夢中で弾いた。
何も考えずに、ただただ音を奏でることに集中する。
まるで僕の意識が曲に溶け込んで広がっていく感覚。
バイオリンを弾いているときだけが僕の安らぎだった。
寂しさを忘れることができた。曲が一緒にいてくれる。
僕は一人じゃない。そう思えた。
そして……月見里さん。
僕のバイオリンを好きだと言ってくれた。
こんな僕でも誰かの役に立てるんじゃないかって思えて嬉しかった。
一人でいることが寂しいって嘆くんじゃなくて、僕はここにいるって主張するんじゃなくて……誰かの為に曲を奏でるもの。
音楽ってそういうものだって教えてくれた月見里さん。
だからずっと聞いていて欲しかった。聞かせたかった。
一緒にいたかった。
僕のバイオリンを聞いているとき、月見里さんは気持ちよさそうにしていた。
そして涙を流してた。
聴き終わると、決まって笑顔でこう言ってくれた。
「ありがとう。元気出たよ!」
元気をもらったのは僕の方だった。
その言葉でどれだけ僕が救われていたか。
月見里さんはあの時のことを忘れているけどそれで良いと思う。
僕が覚えてるから。君に元気をもらったことを覚えてるから。
君があの場所に来なくなってから僕は気づいた。
君を好きになっていたことを。
一曲弾き終わり、僕は大きく息を吐く。
なんか色々思い出しちまったなぁ。
目を開けて青手木を見る。
青手木は目を細めてジッと僕の方を見ていた。
「……青手木?」
「とっても優しい音色ですね」
「え?」
「ありがとうございます」
ブランコに座ったまま青手木は深々と頭を下げる。
「な、なにがだよ」
「元気をいただきました」
無表情でそう言う青手木。
……お前。辛かったんだな。何が寂しいって思ったことないだよ。
「イノリさん? どうしたんですか?」
青手木が立ち上がって僕の顔を覗き込んでくる。
左手で頬に触れてくる。
暖かい。
僕より頭一つ分背が低い青手木。
体だって同年代の女の子より細い。
こんな小さな体でずっと一人で頑張ってきたんだな。
あんな広い家でたった一人。
「辛いことがあるなら言ってください。私がイノリさんを守りますから」
「バカ。逆だろ。奥さんを守るのは旦那の役目だ」
「……そうですね。では、私はイノリさんを支えます。夫を支えるのは妻の役目ですから」
「お前は良いお嫁さんになれそうだな」
「嬉しいです」
青手木の言葉に思わず笑ってしまう。
嬉しいなら少しは表情を変えろって。わかり辛いだろ。
ふと、青手木と結婚したときのことをシュミレーションしてみる。
家の中はいつも惨劇状態になっていて、飯を食うたびに死にそうな目にあう。ほとんど会話が無くて何を考えているか分からない。
……ダメじゃねーか。
前言撤回だ。お前は良いお嫁さんにはなれねーよ。残念だけど。
「あの……」
「ん? どうした?」
「もう一曲聞かせていただけませんか?」
僕の顔を覗き込んでくる。
青手木の頭を撫でながら言う。
「よし。じゃあ、座れ」
コクンと頷いてブランコに座る青手木。
僕はバイオリンを構えて曲を奏で始めた。

<11ページ目へ> <13ページ目へ>