洞窟内を歩く、弥生と耕介。
耕介「弥生くん、足元、滑るから気を付けるんだぞ」
弥生「はい……。え?」
弥生が駆けだし、すぐに立ち止まる。
弥生「……塞がってる。そんな! 昨日はトンネルになってたのに」
耕介「この洞窟はアイヌの人たちがイオマンテの道と呼ぶ場所だ。死んだ者が神の世界に行くための道という意味だ」
弥生「……イオマンテ」
耕介「だが、実際は異世界へと続く道だったんだ。私はこの一年、ずっと帰る方法を探したが、見つけることができなかった……」
弥生「戻れないってことですか? ずっとこの世界で暮らすってことですか?」
耕介「……」
弥生「そんなの、いやです……」
耕介「……君の気持ちはわかる。だが、今は生き延びることを優先しないとならないんだ」
弥生「……生き延びること、ですか?」
耕介「今、村にはもう、ほとんど食料がないんだ。元々、この世界は冬が長い。一年の三分の二は雪が積もって、作物が採れない。そんな中でも、何とかやってきたんだ」
弥生「……」
耕介「だが、どこからやってきたのかわからないが、熊が数頭、近くに住みつくようになったんだ。そして食べ物がないせいで、村を襲うようになった。奴らの狙いは村の食料だ。隠していたが、大分、やられてしまった。それを守ろうとして、村人も数人、殺されている」
弥生「……それじゃ、昨日のお葬式は……」
耕介「もう戻ろう。長く、ラメトクを借りておくわけにもいかない」
弥生「……どういうことですか?」
耕介「あの村は文明と呼ばれるものはほとんどない。昨日、君も一日過ごしてみて、わかっただろう?」
弥生「電気はもちろん、蝋燭もありませんでした」
耕介「農具もほとんど木の素材だ。多少私が改良することで、生産力は上がったが……と、話が逸れたな。つまり、鉄を生成する技術もないんだ」
弥生「じゃあ……」
耕介「熊に対抗しうる武器が何もないんだ。唯一、オオカミを除いてな」
弥生「……」
耕介「ただ、ラメトクも熊に対して、追い払うことしかできない」
弥生「ちょっと待ってください。それなら、今、村は……」
耕介「私たちが洞窟に来るためにラメトクを借りて来ているから、村にはオマしかない状態だ」
弥生「そこまでしてラメトクを貸してくれた、ということですか?」
耕介「そういう人たちなんだよ。他の世界から来た、私たちを何も言わず受け入れてくれている。村の人たちがいなければ、私はとっくに死んでいたよ」
弥生「……」
耕介「さあ、帰ろう」
弥生(N)「教授と村に戻る間、私は何も考えられなかった。異世界に来たこと。教授が生きてたこと。もう、元の世界には帰ることができないこと。ホロケウに守られた村。そして、その村が危険な状態なこと。その全部が他人事のように思えて、自分のこととして実感することができなかった」
耕介、弥生、ラメトクが走る。
そして、弥生が立ち止まる。
熊の吠える声と、村人たちの悲鳴が入り乱れている。
弥生(N)「それはまるで、テレビや映画のような光景だった。村の中央に、巨大な熊がいて、村の人たちを襲っている。熊の足元には、男の人が倒れていて、全く動いていなかった」
耕介「弥生。君は、どこかに隠れてなさい」
弥生「……教授は?」
耕介「熊をけん制しつつ、クテキラを探す。ラメトク。行くぞ」
耕介とラメトクが走り出す。
人々の悲鳴は止むことはない。
ラメトクが吠える声が響く。
弥生(N)「ラメトクが熊と対峙している。ラメトクが吠えると同時に、熊も応えるように吠えた。まるで、最初に見たときの続きのようだった。……ラメトクが熊に向かっていく。だが、ラメトクは熊の爪に引っかかれてしまった」
ラメトク「ぎゃんっ!」
耕介「ラメトク!」
熊が吠える。
熊が弥生を見て、唸り声をあげる。
弥生(N)「熊と目が合った。熊は唸り声をあげて、こっちを睨んでいる」
弥生「ひっ……」
耕介「弥生くん! 逃げろ!」
熊が弥生に向かっていく。
弥生「熊がいきなり、こっちに向かって突進してきた!」
耕介「弥生くん!」
弥生「あっ……ああ……」
熊が弥生の目の前まで迫る。
クテキラ「弥生、伏せて!」
クテキラとオマが走ってくる。
弥生(N)「そのとき、クテキラさんがもう一頭のオオカミ、オマを連れて走ってきた」
クテキラ「オマ!」
オマが熊に向かって走る。
弥生(N)「熊に噛みつくオマ。熊が怯んだ隙に、クテキラさんが、木の鍬で熊の頭を殴った。すると、熊は吠えた後、遠くへ走り去っていく」
クテキラ「……逃げていった」
耕介「弥生! 大丈夫か!?」
耕介が走って来る。
クテキラ「弥生? 怪我してない?」
弥生「う、うう……。もう、嫌! 帰りたい!うわーー(泣き出す)」
耕介「……弥生くん」
弥生(N)「震えが止まらなかった。初めて、死を身近に感じた。ただ怖くて、部屋の片隅で泣くことしかできなかった」
弥生「うう……(嗚咽)」
その時、外から木槌が木を叩く音がする。
弥生「……なんの音だろ?」
立ち上がる弥生。
弥生(N)「窓から村の人たちが作業をしているのが見えた。どうやら、木で柵を作っているらしかった」
弥生「あ、クテキラさん……」
弥生が部屋を出て行く。
木槌で木を叩く音と人々が指示する声。
弥生「クテキラさん」
クテキラ「弥生。どうしたの?」
弥生「さっきは、その……助けてくれて、ありがとうございました」
クテキラ「助けるのは当たり前。お礼、なくていい」
弥生「でも……」
クテキラ「気にしない。いい?」
弥生「それじゃ、手伝ってもいいですか?」
クテキラ「それは悪い。部屋で休んでて」
弥生「手伝うのは当たり前です。気にしないでください。いいですね?」
クテキラ「……。(笑って)わかった。お願い」
弥生「この木槌で、杭を打てばいいんですか?」
クテキラ「そう、ここ」
弥生が木槌で杭を打つ。
弥生(N)「お礼のつもりもあったし、手伝いたいという気持ちもあった。だけど、とにかく、何かしていたいというのが大きかったのかもしれない。だって、作業をしているときは、何も考えなくていいから……。私が手伝っている間、オオカミの子供たち……アシリとチュプが近くで私を見上げていた」