慎一郎「ようやく通じたか。って、おい。銃を忘れてるぞ」
ユーリーが外に出て、料理を始める。
ユーリー(N)「不思議だった。なぜ、敵である彼を助けたいと思ったのか。隊長たちは日本の兵に殺された。憎い気持ちはある。だが、彼は……私と同じだ。絶望的な戦場でも、料理のことを考えている。そんな気がした。だから、助けたいのだろう。私と同じ魂を持った、あの男を」
ユーリーがボルシチの入った器を持って、洞窟に入って来る。
慎一郎「ユーリー。お前、行ったんじゃなかったのか?」
ユーリー「ボルシチという料理だ」
慎一郎「……ありがとう」
慎一郎がボルシチをすする。
慎一郎「うまいな。だが、何か欠けている気がする。材料と作り方を教えてくれ」
ユーリー(N)「シンイチロウが何を言っているのかはわからなかったが、何が言いたいかは理解できた。私はシンイチロウに、ボルシチの作り方を身振り手振りで伝えた」
慎一郎「……なるほど。日本にはない野菜を使っているんだな」
ユーリー「本当であれば、牛肉を使いたかったんだがな。手持ちにない。本来であれば、もっとうまいボルシチを食べさせてあげられたのだが……」
慎一郎「ふふ。面白いな。言葉が通じないのに、何が言いたいのかはわかる。……つまり、材料が足りないから本来の味を出せなかったと言いたいのだろう? だが、今は戦争中だ。食材がないのは当然。その中でも最高の料理を作る。それが、俺たち料理人の魂のはずだ」
ユーリー「わかっている。材料がないなんて言い訳は、逃げだ」
慎一郎「そういう俺も、追い求めているものは作れていない。偉そうなことをいう資格はないのかもしれないな」
ユーリー「なあ、シンイチロウ。このボルシチを完成させるには、今までに無い、何か発想の転換が必要だと思うんだ」
慎一郎「……このボルシチ。俺が発想すらしていなかった料理だ。もしかしたら、他国の料理を組み合わせることで、新たな発想が出てくるかもしれない。ユーリー、手伝ってくれないか?」
ユーリー(N)「その後、私はシンイチロウの指示に従い、日本の料理を作り上げた」
ユーリーが器に入った汁物をすする。
ユーリー「うまいっ! どうやったら、ここまでの深みを出せるんだ?」
慎一郎「これは、日本の伝統料理。いわば、日本の魂だ」
ユーリー「……深み、コク……。(ハッとして)シンイチロウ! 頼みがある! もう一度、私の料理を手伝ってくれないか!?」
ユーリー(N)「私はシンイチロウと共にボルシチを作った」
慎一郎がボルシチをすする。
慎一郎「これは……。すごい。さっきとは深みが段違いだ」
ユーリーもボルシチをすする。
ユーリー「これだ! この味だ! 私が長年、追い続けていたもの。……シンイチロウ。君のおかげだ!」
ユーリー(N)「こうして私は、ボルシチを完成させたのだ。レシピをここに記載する」
ユーリーの過去終わり。
レーラ「だけど、そのページが破れていて、読めない」
達也「文面からすると、じいちゃんが持っていた何かを加えたことは間違いないと思う。日本料理とロシア料理が融合して、あのボルシチが出来た……。じいちゃんは、あのとき、なんの料理を作ったのか? 日本の伝統的な料理……」
レーラ「……」
達也「……駄目だ。わからない」
レーラ「そう……」
達也「でも、諦めずにやろう。俺も、最後まで手伝うから」
レーラ「うん……」
達也(N)「それから三日間、俺とレーラさんはほとんど寝ずに、ボルシチを作り続けた」
達也とレーラがタクシーに乗っている。
達也「……本当にごめん。結局、見つけることが出来なくて」
レーラ「達也には感謝してる。達也がいなかったら、私、ここまでできなかった」
達也「でも……」
レーラ「……私、ずっと一人だった。祖父のボルシチを再現するために、色々と試してきたけど、その間は孤独だった。でも、達也は協力してくれた。それだけで、すごく、嬉しかった」
達也「……一体、なんだったんだろうね? あのとき、じいちゃんが持ってそうな材料は全部、試したんだけど……」
レーラ「何か、特別なものかも」
達也「特別なものが、戦時中に支給されるかな?」
レーラ「家から、持ってきたのかも」
達也「家から……特別……あっ!」
レーラ「達也?」
達也「止めてください!」
タクシーが止まる。
達也「先に空港に行ってて!」
達也(N)「俺の中で完全に繋がった。きっと、じいちゃんはアレを使ったんだ。……でも俺は、店を閉めるつもりだったから、捨ててしまっていた」
空港のアナウンスが流れている。
達也が空港内を走っている。
達也「レーラさん!」
レーラ「達也!」
達也「これ!」
達也がレーラに紙袋を渡す。
レーラ「……なに?」
達也「(息を切らせて)じいちゃんが使ったのは、たぶこれだよ。試してみて」
レーラ「……わかった」
アナウンス「16時50分、モスクワ行きの……」
達也「あ、もう時間みたい」
レーラ「達也、最後まで、ありがとう。じゃあ、行くね」
達也「うん。それじゃ、さよなら」
レーラ「ダ スヴィダーニャ(また、会うときまで)」
達也(N)「ユーリーさんの手記は、まだ最後読んでなかったので、レーラさんから貸してもらえることになった。今度はロシアを案内したいから、直接返しに来てくれと言ってくれた」
達也が歩きながらページをめくる。
達也(N)「一週間ほど経つと、慎一郎は……」
以下、ユーリーの過去。
ユーリー(N)「シンイチロウは歩ける程度には回復したようだった」
慎一郎「ありがとう、ユーリー。君のおかげで、命拾いをした」
ユーリー「礼を言うのはこちらの方だ。長年、追い求めていた味にたどり着けることができたのだから」
慎一郎「それじゃ」
ユーリー「待ってくれ、シンイチロウ」
慎一郎「ん? なんだ?」
ユーリー「祖国に帰っても、あのボルシチを作り続けてくれないか? ……あれは、日本とロシアの……いや、私と君の魂そのものだから」
慎一郎「……わかった。ありがたく作らせてもらうよ」
ユーリーと慎一郎が握手をする。
慎一郎「さよなら」
ユーリー「さよなら。また逢う日まで」
過去、終わり。
店に、僅かに客が入っている。
店に置いてあるテレビからニュースが流れる。
キャスター「ロシアで行われた、三ヵ国による首脳会談は無事、終了しました。各国の首相は食事会で出されたボルシチが大変美味しく、それがきっかけで、話し合いが進んだと笑顔を浮かべており……」
達也「……」
そのとき、店の奥から電話が鳴る。
達也が店の奥に行き、電話を取る。
レーラ「達也!」
達也「レーラさん?」
レーラ「私、やったよ」
達也「おめでとう、レーラさん」
レーラ「それでね、達也。私、お店、出せることになったんだ」
達也「それはすごい!」
レーラ「……こっちに来て、一緒にやらない?」
達也「……え?」
達也(N)「正直、魅力的な話だった。でも」
達也「ありがとう。でも、俺は、じいちゃんの店でやっていこうと思うんだ」
レーラ「そう。……わかった」
店のドアが開く。
客1「まだやってる?」
達也「大丈夫ですよ。……それじゃ、また電話するね」
レーラ「うん。頑張って」
電話を切り、店の方へ出る。
客2「また、このボルシチを食べられると思ってなかったよ。慎一郎さんが作ったものと同じ味だ。頑張ったね、達也くん」
達也「ありがとうございます」
客2「まあ、他の料理は程遠いけど」
達也「精進します……」
客2「このボルシチ、何か秘訣があるのかい?」
達也「それはですね……味噌を使うんです」
客2「味噌?」
達也「はい。麦味噌を使うんです」
客2「へー、なるほどなぁ」
そこにまた、客が入って来る。
達也「いらっしゃいませ。空いている席へどうぞ」
達也が、テーブルに水が入ったコップを置く。
達也「ご注文は何にします?」
客3「あー、じゃあ、ボルシチで」
終わり