【長編シナリオ】空の向こう側④

○  同・医療相談室
柊と隼人が向かい合わせに座っている。
テーブルの上には複数の書類と、その脇には、先ほど隼人が持っていた封筒が置いてある。
隼人「実乃里の検案、うちでやっただろ? もう一回、あの資料、調べ直してみたんだ」
柊「自殺以外には考えられないって話だったんだよね?」
隼人「警察はその結果を元に、自殺って断定した。けど、そもそも、その検案書が偽造されていれば、話は根底から覆る」
柊「そんなこと、可能なの?」
隼人「やって、やれないことはないと思う。実際、その痕跡もあったしな」
柊「それが本当の話なら、どうしてそんなことをする必要があるんだろ?」
隼人「そこなんだよ。父さんがさ、あの時、娘の体を他の病院の奴らが切るのを嫌がって、わざわざ、自分のところの病院で検案をやっただろ? もちろん、父さんが信頼している人に検案を任せていたから、まさか、その検案書が偽造されるなんて、考えもしなかった」
柊「院長の信頼を裏切ってでも、偽装をする理由があった……ってこと?」
隼人が一枚の写真を出す。写真には御厨誠(42)が写っている。
隼人「御厨誠。当時は父さんの懐刀って呼ばれるほどの人だった」
柊「だった?」
隼人「この人、実乃里の検案をやった三か月後にうちの病院を退職してるんだ」
柊「理由は?」
隼人「わからない。当時は、父さんもかなり焦ったみたいでさ、随分と説得したみたいだけど、本人の意思は固かったみたいだ」
柊「話が繋がりそうだけど……見えてこないね」
隼人「俺もそう思った。けど、このピースを見つけたとき、ピッタリと収まった」
柊「ピース?」
隼人「この御厨って医師、菱川幸三の主治医だった」
柊「……菱川って」
隼人「そう。菱川祥の父親だ」
柊「確か、代議士って言ってたよね?」
隼人「あの日、実乃里がバイト先を出て、お前が見つけるまで、二時間弱。さらに、その間、菱川を見かけた奴がいる……」
柊「菱川さんが、実乃里ちゃんを殺し、父親に泣きついた……」
隼人「考えられなくないだろ? 突然、退職したのだって、菱川から多額の金を貰ったっていうなら説明がつく」
柊「でも、わざわざ病院を辞めるかな?」
隼人「良心の呵責ってやつじゃねーのか。院長である父さんを裏切ったんだ。居づらくもなるだろ」
柊「その人の、今住んでる場所は?」
隼人「さすがに追いきれない。警察じゃないからなぁ。……ところで、そっちの方はどうなんだ?」
柊「え?」
隼人「菱川があの日、何をしてたかだよ」
柊「……ごめん。まだ……」
隼人「じゃあ、俺はこの御厨を追う。お前は引き続き、菱川の方を探ってくれ」
柊「うん。わかった」

○  薬局前
柊が薬局から出ると、入り口の付近で祥が待っている。
柊「あれ? 菱川さん。約束は十一時からでしたよね?」
祥「今日は予定がありませんでしたからね。……それより、柊さん。不眠症ですか?」
柊「え?」
祥「どうしてわかったか、ですか? 常に疲労した表情、虚ろな目、そして、定期的に薬局に出入りしている。となれば、処方してもらっているのは睡眠薬……ですね?」
柊「はは。適いませんね。隼人にも気づかれなかったのに」
祥「頻繁に会うような人には、逆に気付きにくいでしょう。見たところ、不眠症になってから長いようですが?」
柊「四年前からです」
祥「なるほど、あの事件からですか。まあ、無駄話はこれくらいにして、行きましょう」

○  柊のアパートの近隣
祥と柊が並んで歩く。祥が歩きながら、周りを見渡す。
祥「ここは……」
柊「僕のアパートの近くです。四年前のあの日、あなたはこの辺にいたんですよね?」
祥「私が実乃里さんを殺した犯人と疑っているわけですか……」
柊「そのとき、あなたは一体、ここで何をしていたんですか?」
祥「無駄な話は止めましょう」
柊「……無駄?」
祥「例えば、ここで私が本当のことを言ったとしましょう。その言葉を、柊さんは素直に受け止めることができますか?」
柊「そ、それは……」
祥「真実であれ虚偽であれ、私が話したことに裏付けが必要になってきます。しかし、それを見つけるのは困難かつ、絶望的でしょう」
柊「……」
祥「それよりも、私から一つ、面白い仮説を提案しましょう」
柊「なんですか?」
祥「どうして、四年も経った今、急に事件に対しての進展があったか、です」
柊が目を見開く。
祥「恐らく、新しい情報が一つ入って来た。それによって、事件に対しての情報が次々に出て来た、そうじゃないですか?」
柊「……」
祥「断言しましょう。私のことや、当日、私がこの辺りにいた、という情報は天羽隼人、もしくはその関係者から聞きましたね?」
柊「……どうして、それを?」
祥「その情報が全て、彼のねつ造だったとしたらどうですか?」
柊「何を言って……」
祥「私が実乃里さんに言い寄っていたこと、あの事件があった日にこの辺りにいたこと、そして、実乃里さんの検死を行ったのは私の父の主治医だったこと。そんなことは四年前に分かりそうなことだと思いませんか?」
柊「……」
祥「逆に四年も経った今のタイミングで分かる方が不自然ですよ。……つまり、四年前にすでに分かっていたのに、柊さんには黙っていた。そう考える方がしっくりくると思いませんか?」
柊「……そんなこと、何のために?」
にっこりと微笑む祥。
祥「そうそう。父の主治医だった御厨誠。いきなりの失踪で、父も困っていました。私も不審に思い、消息を追ったのですが……田舎町の病院で院長をしていましたよ」
柊「……え?」
祥「医師の世界は意外と横のつながりが強い。そのことは医療の現場を齧ったあなたや、友達の隼人さんを見ていればわかると思います」
柊「……待って。それじゃ……」
祥「ええ。御厨誠は病院を退職したのではなく、他の病院に紹介されて移っただけです」
柊「で、でも、それって……隼人が……」
祥「そーだ、柊さん。一つお願いがあるんですが……部屋を見せていただけませんか?」
柊「……」

○  柊の部屋
玄関から、柊と祥が入ってくる。
入るなり、祥が大きく息を吸う。
祥「……なるほど、ここが実乃里さんの過ごしていた部屋ですか」
柊が台所に向かう。
祥「私が知らない表情をした実乃里さんがいた。そう考えるとゾクゾクしますね」
柊が戸棚に向かい、コーヒーカップを二つ出す。
柊「菱川さん、コーヒーでいいですか?」
祥「紅茶がいいですね。アールグレートとアッサムを三対二の割合で」
柊「……」
祥「はは。インスタントコーヒーでいいです。実は結構好きなんですよ。インスタント」
柊がホッと小さく息を吐く。
戸棚からインスタントコーヒーを出して、カップに粉を入れる。
ポケットに手を入れ、睡眠薬の容器を取り出す。
祥「そういえば、私に話があると言っていましたが、なんですか?」
ピクリと肩を小さく震わせる柊。
容器の蓋を開け、傾ける。
コーヒーカップに粉状になった睡眠薬が注がれる。
柊「少し長くなりそうなんで、コーヒーを飲みながらしませんか?」
柊がコーヒーカップに電子ポットのお湯を注いでいく。
祥「そういうことなら」
祥がソファーにどっかりと座る。
祥「私も、あなたとはゆっくり話をしてみたかった」
お盆にコーヒーカップを乗せて、歩いてくる柊。
柊「安物ですが……」
柊が祥の前にコーヒーカップを置く。
祥「私の持論として、コーヒーの味を決める最大の要因は銘柄ではなく、誰と飲むか、だと思っています」
柊「はあ……」
柊が祥の向かいに、もう一つのコーヒーカップを置き、ソファーに座る。
祥「あなたはいつも、最高のコーヒーを飲んでいたんでしょうね」
柊「え?」
祥「実乃里さんに煎れてもらい、実乃里さんと飲む。どんな銘柄でも勝てないテイストです」
祥がコーヒーカップを手に取り、すする。
柊「……あの日、菱川さんはこの辺りに来てたんですよね?」
祥「その話ですか。前にも言ったと思いますが、私の言ったことを信じられる……」
柊「あの日は、酷い雨でした」
祥「……よく覚えています。雷鳴が轟く、嫌な夜でしたよ」
柊がチラリと机の上の時計を見る。
時計は十二時三十五分を差している。
柊「あなたは十九時に始まる、教授の慰労会には行かずに、この辺りにやって来た……」

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