【オリジナルドラマシナリオ】受け継がれる魂①

<受け継がれる魂②へ>

  昼の店中は客で賑わっている。

達也(N)「ビーツと玉ねぎ、ニンジン、キャベツ。そして、炒めた牛肉をじっくりと煮込んだ具だくさんの赤いスープ。ロシアの一般的な家庭料理、ボルシチ」

  浅野達也(25)が注文をとる。

達也「じいちゃん、昼定と親子丼。あと、ボルシチ二丁」

達也(N)「じいちゃんの作るボルシチを目当てで、わざわざ大阪から東京にやってくる客もいるくらいだ」

  浅野慎一郎(85)が、まな板の上でネギを切り、フライパンに入れる。
  ジュウという焼ける音が響く。

慎一郎「あいよ!」

達也(N)「戦時中に炊事兵をやっていたじいちゃんは、帰還後、すぐにこの小料理屋を始めた。五十年近く経った今でも、開店当時から来ている馴染み客も多い」

慎一郎「達也! 天ぷら定食とボルシチ、あがったぞ」
達也「はーい」

達也(N)「大学中退後、ずっと家にいた俺は、親から店を手伝うように言われた」

慎一郎「手が空いたら、洗い物、やってくれ」

達也(N)「正直言って、つまらない。朝も早いし、客にも文句を言われることも多い」

達也「昼は終わりだから、夜までは休むね」
慎一郎「どうだ? 達也。少しは料理を覚えてみないか?」
達也「いや、いいよ。別に」
慎一郎「……そうか。……よし、夜の仕込みを始めるか……」

  慎一郎が立ち上がろうとした瞬間、派手な音を立てて、倒れる。

達也「……じいちゃん? じいちゃんっ!」

達也(N)「心労による心臓発作だった。なんとか、一命は取り留めたものの意識は回復していない……」

  慎一郎の心電図の音が病室に響く。
  心電図の音は小さく弱弱しい。

慎一郎「うっ! うう……」
達也「じいちゃん! じいちゃん!」
達也の母「お父さん! しっかりして!」
慎一郎「……ユーリー。私は……」
達也「……ユーリー?」

  心電図が停止のピーという音を鳴らす。

達也の母「……お父さん」
達也「じいちゃん……」

達也(N)「じいちゃんが最後に残した名前……ユーリーって誰なんだろう?」

  店内を片付けている達也。
  店のドアが開く。
  レーラ・バザロフ(21)が店内に入ってくる。

達也「あ、すいません。閉店してるん……」

達也(N)「白い肌に白っぽい金髪。青い瞳に筋の通った高い鼻。一目で日本人ではないと分かる容姿。最初は人形かと思ったほど、何というか綺麗な女性だった」

レーラ「閉店? 休みはないはず」
達也「事情があって、閉店することになったんです」
レーラ「そんなの困る。もう時間ないのに。食べさせて。お金なら払うから」
達也「そう言われても……」
レーラ「お願い。ここのボルシチが最後なの」
達也「……ボルシチ?」
レーラ「ずっと探してた。東京にあるお店で、ボルシチを出すところ」
達也「ちょ、ちょっと待ってて」

  達也が奥の方へ歩いていく。

達也(N)「確か、じいちゃんが倒れる前に作り置きしていたのが冷凍であったはずだ。あれを温めれば……」

  達也がガス代に火をつけ、鍋にボルシチを入れて、温め始める。

達也(N)「確かにボルシチはうちのメニューの中でも人気が高い。……でも、いくら美味しいからと言って、わざわざ、食べにくるほどだろうか?」

  達也がテーブルの上に、皿を置く。

達也「お待たせ」
レーラ「いい匂い。一番想像に近い……」
達也「……」

  スプーンでボルシチを掬い、口に運ぶ。
  数回咀嚼して、飲み込む。

レーラ「ナーシォル(見つけた)!」
達也「え?」
レーラ「教えて。あなたの祖父の名前は、セイイチロウ?」
達也「え? どうして、知ってるの?」
レーラ「やっぱり! 良かった! これで間に合う。教えて。このボルシチの作り方」
達也「いや……その……」
レーラ「……私の名前はレーラ・バザロフ。ユーリー……私の祖父と一緒に作ったボルシチ。それを教わりに来た」
達也「……?」
レーラ「お願い! もう時間がない!」
達也「……知らないんだ」
レーラ「……知らない?」
達也「このボルシチはもちろん、俺はじいちゃんに何一つ、教えてもらってないんだ」

達也(N)「俺はレーラと名乗る、女性に全てを話していた。それはきっと、彼女の真剣な眼差しに後ろめたさを覚えたからかもしれない。何となく手伝っていただけの俺には……」

レーラ「レシピ、残ってないの?」
達也「料理は作り手の人生……。覚えていないような料理は、言ってしまえば偽りの人生。お客に出せる代物じゃない。……じいちゃんの口癖だよ」
レーラ「……祖父も同じことを言っていた。……だから、協力できたんだ」
達也「……どういうこと」
レーラ「あなたの祖父は戦争に行った?」
達也「うん。炊事兵をしてたって」
レーラ「数日、行方不明になってたはず」
達也「……そんなこと、聞いたことない」
レーラ「(ため息)……キッチンを見せて。材料が残ってるかも。大きな手掛かりになる」
達也「……ほとんど処分しちゃったんだ」
レーラ「そんな。私……」
達也「……」
レーラ「でも、諦めるわけにはいかない……」

  レーラが席を立つ。

達也「待って! ……その、どうして、ボルシチにこだわるの?」
レーラ「私の家……バザロフ家は代々、料理の研究家。ウクライナから料理が入って来た時、ボルシチの美味しさに、感動したらしいの」
達也「へー……。ボルシチって、ウクライナ料理だったんだ」
レーラ「祖先の人たちはボルシチには、可能性があるって思ったらしい。そこから、研究が始まった」
達也「……」
レーラ「祖父の代。当時のソ連の総書記、スターリンに食べて貰えるチャンスがきた。そのとき、祖父はあるレシピの、ボルシチを出した。そして、大絶賛を受けて、とても名誉な勲章を貰った」
達也「すごい……」
レーラ「祖父は戦場でも、いつも料理のことばかり考えていたらしい。いつ死ぬかわからない極限の状態でも、祖父は、そのボルシチのレシピを完成させた」
達也「……」
レーラ「祖父も戦場で数日行方不明になった」
達也「そこで、おじいちゃんと会った……?」
レーラ「祖父の手記に、そう書いてある」
達也「でも、戦争中ってことは、日本とロシアは敵同士のはずだよね?」
レーラ「詳しいことはわからない。でも、祖父は日本人に会って、理想を完成させた」
達也「そんな思いが詰まった料理だったんだ」
レーラ「バザロフ家の魂って思ってる」
達也「あのさ、お願いがあるんだけど……。そのボルシチ、一口くれないかな?」
レーラ「……いいけど」

達也(N)「レーラさんは少し嫌な顔をしたけど、スプーンを渡してくれた」

  ボルシチをすくって、口に入れる。

達也「……美味しい」

達也(N)「……考えてみれば、じいちゃんのボルシチを食べるなんて、本当に久しぶりだった。こんな美味しい料理を、じいちゃんは毎日、休まず作り続けていたのか」

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